年頭のご挨拶

PHOTO STUDIO POPPO

2011年01月01日 23:34


新年明けましておめでとうございます
みなさま、今年もどうぞよろしくお願いいたします

みなさまにとって2010年はどんな年だったでしょうか?
月が替わっただけ、日付が一日進んだだけと言われれば
確かにそれまでのことですが、
善きにつけ、悪しきにつけ、新年が明けました。
良い年を過ごしされた方はその機運がそのままの形で今年も継続されんことを切に願います。
残念ながら悪しき年を過ごされた方には、悪しき機運は去年ですっかり断ち切って
心機一転、期待をこめて新鮮な気持ちで新しい年をお迎えされますことを
お祈り申し上げます。

さて、毎年恒例となっておりますので
ホームページ上にて新年のご挨拶をさせていただきたいと存じます。

旧年中は、毎年来てくださるメンバーのみなさま、新規サポーターのみなさま、
関係各所のみなさまのお支えをいただき、何とか無事に過ごすことができました。
ぽっぽが廃業もせず今日まで存在できているのも、みなさまのお支えの賜物。
この場をかりて御礼申し上げたいと思います。 あ〜た〜っす。


数年前のある日、
「オレって何なんだろう?」
そう思ったことがありましした。
全宇宙の中の、銀河系の中の、太陽系の中の、地球の中の、日本という地域の中の、鹿児島という地域の中の、吉野町という山の中に確かに私は住んでいます。
しかし、
それはただ「住んでいる」というそれだけのことで、そのことが私を現しているわけではありません。
また、
先祖代々、屋久島という所に住んでいて、その島でマナブと、エミコという人物の間に生まれたということもある意味事実のようではありますが、確かに私というものの起点には違いないとしても、そのことも決して私を現す全てではありません。
では、
「私」を私たらしめているものは一体なんなんだろう?

その答えを求め読書の毎日を送りました。
地球が自転していることや、自分が生まれながらにして所属させられている社会体制が本当に安心して身を任せられるようなものなのか?ということや
そんなことを自覚できるような術はないものかと、本を読み漁りました。
答えは全て『否』でした。
地球上に生息する以上、地球の自転は自覚できないし、生まれながらにしてそこそこの環境に身を置いて何不自由なく暮らしている以上、社会体制の歪みや陰謀は自覚できません。
生きる上で不自由がない以上、搾取が恒常化していたとしても麻痺した感覚では自覚することは不可能だし、その必要もないということです。
ですから、私たちはこのままなんの不自由もなく国家や世界の資本家たちに死ぬまで搾取し続けられるわけです。仕方のないことです。

ある時期、知り合いに「君は偽善者だ」と言われたことがあります。
その頃はその言葉に反発心もあって、否定していましたが
読書を通じて自分を見つめていると、自分は偽善者なのだということが自覚できました。
私は確かに偽善者です。盗みを働いたこともあるし、嘘もつくし、殺生にも余念がありません。
私は弱きものです。心が弱い。
欲も深い。欲しい物がたくさんあって、次から次へと新しいモノをカタログで探しています。食欲も、性欲も、羞恥心もありますし、怒りや恐れも消えません。
いくら表面を繕っても、皮一枚の内側にはそういうドロドロの欲が腫瘍のように固まっている。
それが『私』・・・

去年の自殺者も3万人を超えたそうです。
人生の様々な瞬間には、いつ失望してもおかしくない原因がたくさん潜んでいます。
その原因の多くは自分の中にある『欲』が引き起こすものだとか、
欲は苦しみの原点。

欲しい物が買えないという苦しみ。
好きな人に振り向いてもらえないという苦しみ。
金儲けしたいけどできないという苦しみ。
出世したいけどできないという苦しみ。
自分より同僚が先に出世したという嫉妬の苦しみ。

そういう苦しみに耐えることができなくなって
『心萎えたとき』
人は自殺するのだそうです。
欲が深い以上、私にも他人事ではありません。

百八つもあるといわれる欲を全て取り払うことは事実上は難しいことでしょう。
煩悩を全て捨て修行僧のように生きるとは、もはや「生きている」とは言い難い。
しからば、一つでも二つでも取り払うことができたなら、昨日よりは苦しみの種が減って、多少は生きやすくなるということでしょう。

私は生きています。
しかし、自発的に生きているわけではないようです。
まだ死んではいけないと、誰かに言われているように感じるのです。
心が萎えたとき、私も他の3万の人々と同じように死んでいくことでしょう。
でも、今、誰かに必要とされ、生かされている間は生きていくのだと思います。
私は生きています。
同時に私は『生かされて』いるのです。

インターネットが整備され暮らし向きが随分と便利になったように感じますが、それは諸刃の刃です。
機密文書を手に入れて世界中に告発するような、危ない機運も高まっています。
各国が躍起になって隠したがるほどの陰謀があることは、もはや知らぬ者はいないでしょう。
国家の陰謀を暴くのは報道の報道たる所以。
しかし、情報を扱う者は権力をも同時に手に入れることができることを忘れてはなりません。
昨今のような高度な情報を扱うには公平性の担保がされておらず危険すぎます。
ある側面から考えれば、核兵器よりも危険な状態かもしれません。

息子がスカイプを駆使して放課後の語らいをしています。
パソコンの画面に向かって楽しそうに会話する様は異様です。
あるとき、言い争いになった折、そのことも指摘してみましたら
『本当の友達はスカイプの中にしかいないんだ』
と、言いました。

高校受験を控えた息子の3者面談が中学校でありました。
担当の教諭はしきりに過去のデータが、データが、を連呼していました。

今の世の中は生きているという実感が希薄です。
雑誌やTVには私たちの生活を代わりにしてくれる人がいて、いろんな所を旅行してくれたり、危険な冒険をしてくれたり、スポーツも釣りも、全て誰かがやってくれる。
もし旅行に行くとしても、誰かのした旅行をもう一回なぞるだけの事にすぎないし
実感をもって生活するということが難しくなりつつある。

でも、画面の中には人は住んでいないし、過去のデータの中には息子は入っていない。
いくらTVが3Dで立体を映し出したとしても、それは本物ではありません。

手と手を繋ぐことでしか伝わらないぬくもりや、
抱き合うことでしか確かめることができない安堵感
そういったものを飛び越して生きている実感を持つ事は不可能です。

私が畑に向かうのは、決して遊びではありません。
土を耕しそこに種を置き、雨が降った後に双葉が出て、太陽を浴びて葉が伸び、下草を除去し、根が張り、葉が茂り、そして収穫を迎えるという一連の流れが全て実感を伴った
「直接生きる事に触れる」ことの実験なのです。

今年も意味難解な言語を放ち続けることでしょう。
できるかぎり、簡素にお伝えしようと思っています。
今年は一年間、そのことに挑戦しようと思います。

みなさま、今年もよろしくお願いいたします。


スタジオぽっぽ
タナカ ミツオ
2011,1,1記



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