2010年10月25日

真面目ブログーその弐

真面目ブログーその弐

みなさま、こんにちは、ぽっぽです。

ぽっぽ真面目バージョンブログ、第二回目は
3)教育について
4)アーティスト活動について
5)マスコミについて
の3本です。
例によって真面目バージョンの苦手な方はさようなら。また次回逢いましょう。

では、さっそくいきます。
3)教育について
 最初に、現場に立っている教職員の方々の類い稀なる努力にまず敬意を表したいと思います。教育現場に立つ教師の多くは自分たちの生活をも犠牲にしながら日々悩み、真摯に子供たちの将来、日本の将来に全霊を注いでくださっています。そういう姿を目にするたびにありがたいことであると常々思っているところです。
 したがって、これから述べます論点は教育の現場からは離れ、日本のとっている立場に絞ってまいりたいと思います。正義の項でも述べましたが、立場というものはそれこそ自分の立っている場所によってものの見方、考え方が大きく違ってきますので、これまで実際に二人の子供を育ててきた経験に基づいて、ボクが実際に感じたボクなりの独自の偏見で書きたいと思いますので、予めご了承願います。

 まず、ボクの目標とするところの教育は ”自分の頭でものを考えて、自分の手足で行動する人になってほしい” というものです。ボクたちが子供に伝えられることって、ごくごく限られた分量しかなくて、二十歳を超えてからもストーカーにみたいについて回って、アレしろ、コレしろと指図するわけにもいきません。したがって、学習の基礎の部分は手伝ってあげるとして、あとは自分で考えて行動しなはれ、という立場に立ちたいと思っているのです。つまり『生きる力』というものを身につけてほしいと常々思っているというわけです。
 世の中には学歴で生活できている方もいらっしゃいますので、異論反論はあるかとは思いますが、決して「偏差値がこれくらい」とか、「○×大学に入って・・・」とか、そういう、いわゆる”学歴社会に適応する”というのが目的ではありませんので、それを踏まえた上でお読みいただけるとありがたいです。

 さて、日本の教育システムについては大いに疑問を持っています。何より、常に『ひとつの答えを求めるところ』が疑問です。
 例えば、エジソンの少年時代の逸話でしたか、1+1=2という問題があったときに、校庭の泥場に走っていって泥だんごを2つこしらえて、先生の目の前で一個にまとめ、1+1=1のときもあるんじゃないの?と、迫ったそうです。
エジソンの話はアメリカでの話ですけど、日本でもシステムとしては大差ないわけで、日本の教育では決しては1+1=1の概念は認められないということでしょう。
 でも、これ、現実的に目の前で起こっている現象なので、1+1=1でも正解ですよね?1+1=2という問題はあくまでも「質量」という定義があって初めて成立する設問です。
 しかし、少年が走り出した時点では質量の問題ですという定義がなかった。
問題が曖昧すぎて、この少年は走らずにはいられなかったのでしょうね。きっと。
 日本の教育ではどうしても一つの問題に対して一つの答えを求めたがる。質問に対する答えに選択の余地がないんですね、多様性を認めないというか。
 本来なら『あっ、ほんとだ。1+1=1も有りかもしれないねぇ、では1+1=2と1+1=1の違いとは何なんだろう?みんなで一緒に考えてみようか?』 
 と、教師が誘導してあげるというのが教育の原点であって、数学が途端に面白い学問に変化する瞬間だと思うんですけど、時間がないんでしょうかね?なかなかそれはできない。
 サイン、コサインとかの三角関数って実際に生活に役立ててる人ってどのくらいいるんでしょう?
それよりも、1+1が1でない理由を考えるであるとか、ゼロの概念であるとか、そういう生活に根ざした深い思考を促すような学問を、幼い時期からじっくりと時間をかけて浸透させていくっていう道はないもんでしょうかね?
 いじめの問題はどうでしょう? 人と違っていることが標的となっているように思いませんか?
出る杭は打たれるというか、事なかれ主義というか、人と違っていることが当たり前で、すばらしいことだなどとは決して教えない。一応、道徳の授業かなんかでは取り上げているようですけどね、教育システム自体がホントにそうは思っていないように感じるんですよね。
 先ごろ息子たちの通う小中学校で運動会がありましたけど、入場行進なんかで「右向け右」っていうやつ?まだやってました。昭和か!(笑)
 あれ、右向かない奴は「面倒くさい奴」というレッテルを貼るんでしょうねえ、未だに。ていうか、99%の右向いてる奴らをどの方向に導こうとしてるんでしょうか? 良い大学入れて、一流企業に入れるのが目的なんでしょうかね?一流企業に入れたところで『コマ』みたいに扱われて終わり。のような気がするのはボクだけでしょうか・・・?
 先日、海外の軍事パレードを見てて、一糸乱れぬ行進が映し出されましたけど、あれ、気持ち悪くないですか?(規律があって清々しいと言う方、ごめんなさい)ボクはとても気持ち悪いんですね。みんなが同じ方向を見てる時点でとてつもなく違和感を感じるんですよ。まあ、軍事パレード自体は軍人の軍人としての仕事ですから、あれはあれでいいんでしょうけど・・・
 右向け右で、左の方向を向いてる奴も一先ずはアリか。と緩やかに、そして自由に議論できる環境がある方が発展性があってよろしいのではないかと、そう思います。
 また例によって長くなってしまいましたね。本当は3本立てでいきたかったのですが、これ以上やると息苦しいので今日はこれだけにしておいて、残りの2本はまた次回の宿題ということで、本日はこれにて終了したいと思います。
 コメント欄は生きていませんが、ご意見ご感想はどしどしお寄せくださいね、みなさんで議論していきましょう。
 では、本日はこの辺で。




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Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 17:00 │ 屋久島・写真・エッセイ

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