スポンサーサイト

上記の広告は90日以上記事の更新がないブログに表示されます。新しい記事を書くことで、こちらの広告が消せます。

  

Posted by チェスト at

2011年08月31日

ジローさん


みなさん、こんにちは。 スタジオぽっぽの時間ですw

今日はとても嬉しいメールをいただきました。
中学を卒業以来、実に四半世紀ぶりに(28年ぶり?)屋久島の同級生からのメールでした。
'08に書いたブログ「少年たちの夏」に出てくるガキ大将の「ジロー」本人からでした。わお。

今は自衛隊でガキ大将どころか「教官」をしてるんだとメールには書いてありました。
子供の頃から体格も良くて、ガキ大将で、活発で、正義感が強くて、とっても善いヤツでした。
そんな昔のイメージそのままだったので嬉しくてしょうがありません。

みなさん、よかったですね。
こんな人が守ってくれている日本は安心です。
今夜はゆっくり眠れそう。

ジロさん、こんど鹿児島に帰ってきたら是非スタジオに遊びにきてね。
カッコイイ写真を撮ってあげます。(もちろん有料で・笑)

あ、そうだ。
今日のお写真は、なんの変哲もない写真ですが
故郷屋久島の海の玄関口「宮之浦港」からの眺めです。
ジローさん、懐かしいでしょう?(笑)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページとブログを新規サイトに移動しました。当ブログは休止しております。みなさまにはお手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 22:49Comments(0) 屋久島・写真・エッセイ

2011年04月28日

想い出の写真


連日のニュースを見ていてふと思うのですが
最近私は、自分がお医者さんだったらよかったのにと思うことが多くなりました。

もし、お医者さんだったら被災して困っている人を助ける事ができます。
国境なき医師団に入って紛争地域や貧困地域で人道的な活動をすることだってできます。
Dr.コトーのように医師のいないような過疎地で地域の人々の役に立つというのも悪くありません。

でも、私はしがないカメラマン。
こんな時、社会にとっては何の役にもたちません。
医者の仕事はなくてはならない大事な大事な仕事ですが
カメラマンの仕事なんてあってもなくてもいいような、どうでもいい職業です。
そう考えると少し落ち込みますが
ニュースで見る被災地では、今も行方不明の肉親を捜す被災者の方々がたくさんいらっしゃって、ガレキの中から思い出の品を必死に拾い集めておられます。そういう場面では必ず、その手に思い出の写真がしっかりと握られています。
そういう写真の一枚一枚には、深い深い愛情や思い出がぎっしり詰まっているんだなあと痛切に感じ、写真の持つ力を改めて気付かせていただきました。

先日、息子さんが就職で鹿児島を離れるということで、記念の家族写真を撮りに来られたお客さまがありました。
なにもわざわざ写真館で撮らなくても・・・というような写真ですが、ここまで立派に成長された息子さんを『写真館で撮った』という思い出の一場面として大切に記憶されるのだろうなあと思うと、身の引き締まる思いでシャッターを切りました。

隣のデスクでは相方さんがチャイルドブックの編集作業をしています。
赤ちゃんが生まれた場面、旅行に行った場面、誕生ケーキの場面、何気ない日常・・・
若い両親が一生懸命にたっぷりと愛情を注いでいる姿がそこに見てとれます。

残念ながら私にはお医者さんの資格はありません、でも反対に写真のことなら多少得意です。
これからもお客さまたちの思い出のエキストラとしてそっと寄り添えたなら、それはとても貴重で、とても意義がある仕事なんだと感じるようになりました。
これからも一生懸命がんばっていこうと思います。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 14:24 屋久島・写真・エッセイ

2011年04月06日

START


一昨日、息子1の高校の入学式がありました。
PSPをウィンドウズに改造してしまったり、
壊れた液晶画面を交換するついでに、ボディーをスケルトンに改造してしまうようなヤツですので、工業系コンピューター関係の学校を選ぶのはまあ、当然の結果といったところでしょうか

で、この学校、全寮制なのです。入学式と同時に入寮となりまして・・・・・
つまり、一昨日より息子1が我が家からいなくなりました。

屋久島出身の私も彼と同じ15歳で実家を後にしました。
離島の少年達にとって、中学卒業と同時に家を出る事は比較的珍しいことではないようで、実のところ、私の父も同じ15歳で屋久島を出ているということでしたので、親子3代に渡って似たような事をしているというわけです。(笑)

ただ単に、入学しました。その学校が全寮制でした。
ということだけなら、まあ何の感慨も浮かんでは来ないのですが、自分の経験に基づいて考えてみますと、これから先、彼が私たちの住むこの家に帰ってくることは、おそらくもうないでしょう。
もちろん、一時的な帰省はあるにしても、精神的に『我が家』として帰る事はもうありません。

使い慣れた布団と、少しの着替え、真新しい教科書。
小さい車でもトランクが余ってしまうくらいの荷物を持って引っ越していきました。寮の二人部屋の、片方のあまり広くないベッドの上が、さしずめ彼の新しい家ということになりますか。寒さや雨風がしのげることを考えると、ここで切れる人生のスタートはそう悪くありません。

さりとて親としては、ぽっかりと心に穴が空いたような喪失感が何とも言えず
我が子を残して去る校庭の、片隅に咲いていた満開の桜の花びらにさえ、恨めしさを募らせる。そんな複雑な一日となりました。






〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 22:15 屋久島・写真・エッセイ

2011年02月17日

大河の一滴として


先週、撮影のために東京へ出張しました。
以前、鹿児島でウェディングプランナーとして一緒に仕事をしていた仲間の結婚式です。
一昨年のL.A出張といい、今回の東京出張といい、飛行機代や宿泊費を負担してまでこうして呼んでいただけるということは、カメラマン冥利につきるといいますか、これまで自分のやってきたことの証みたいなものなので、それはそれはとてもありがたいことです。
そしてなにより、出逢った頃は大学を卒業したばかりで、まだあどけなさを残す女の子だったのに、今はまるで別人のようにしっとりとした大人の女性へと成長し、そんな姿を見ることができてとても感慨が深く、胸がじんじんしてしまいました。

初めて会った新郎さんは私と同じ歳だそうで、気さくでとても感じの良い方でした。まあ、感じのいい彼女が選んだ人なんだから当然といえば当然です。
彼はテレビ局にお勤めだそうで、’92〜’93年ころにオリックスの球場でイチロー君を取材していたとのこと。お互いに面識はありませんでしたが、私もグリーンスタジアムへは頻繁に出勤していましたので、あの狭いプレスルームでは時として机を隣にすることもあったんだろうと想像を巡らせますと、こちらの方もそこはかとなく縁(えにし)を感じずにはいられませんでした。

そうやって、人と人はどこかで少しずつ繋がっていて、お互いに影響しあいながらやがて大きな流れとなって出会いや別れを繰り返していくんだろうなと最近つくづく感じます。
私もその大きな河の一滴として、互いに影響し影響される間柄であるということを自覚しながら、これから先も誠実に生きていこうと思いました。

○○ちゃん。結婚おめでとう。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 15:12 屋久島・写真・エッセイ

2011年01月01日

年頭のご挨拶


新年明けましておめでとうございます
みなさま、今年もどうぞよろしくお願いいたします

みなさまにとって2010年はどんな年だったでしょうか?
月が替わっただけ、日付が一日進んだだけと言われれば
確かにそれまでのことですが、
善きにつけ、悪しきにつけ、新年が明けました。
良い年を過ごしされた方はその機運がそのままの形で今年も継続されんことを切に願います。
残念ながら悪しき年を過ごされた方には、悪しき機運は去年ですっかり断ち切って
心機一転、期待をこめて新鮮な気持ちで新しい年をお迎えされますことを
お祈り申し上げます。

さて、毎年恒例となっておりますので
ホームページ上にて新年のご挨拶をさせていただきたいと存じます。

旧年中は、毎年来てくださるメンバーのみなさま、新規サポーターのみなさま、
関係各所のみなさまのお支えをいただき、何とか無事に過ごすことができました。
ぽっぽが廃業もせず今日まで存在できているのも、みなさまのお支えの賜物。
この場をかりて御礼申し上げたいと思います。 あ〜た〜っす。


数年前のある日、
「オレって何なんだろう?」
そう思ったことがありましした。
全宇宙の中の、銀河系の中の、太陽系の中の、地球の中の、日本という地域の中の、鹿児島という地域の中の、吉野町という山の中に確かに私は住んでいます。
しかし、
それはただ「住んでいる」というそれだけのことで、そのことが私を現しているわけではありません。
また、
先祖代々、屋久島という所に住んでいて、その島でマナブと、エミコという人物の間に生まれたということもある意味事実のようではありますが、確かに私というものの起点には違いないとしても、そのことも決して私を現す全てではありません。
では、
「私」を私たらしめているものは一体なんなんだろう?

その答えを求め読書の毎日を送りました。
地球が自転していることや、自分が生まれながらにして所属させられている社会体制が本当に安心して身を任せられるようなものなのか?ということや
そんなことを自覚できるような術はないものかと、本を読み漁りました。
答えは全て『否』でした。
地球上に生息する以上、地球の自転は自覚できないし、生まれながらにしてそこそこの環境に身を置いて何不自由なく暮らしている以上、社会体制の歪みや陰謀は自覚できません。
生きる上で不自由がない以上、搾取が恒常化していたとしても麻痺した感覚では自覚することは不可能だし、その必要もないということです。
ですから、私たちはこのままなんの不自由もなく国家や世界の資本家たちに死ぬまで搾取し続けられるわけです。仕方のないことです。

ある時期、知り合いに「君は偽善者だ」と言われたことがあります。
その頃はその言葉に反発心もあって、否定していましたが
読書を通じて自分を見つめていると、自分は偽善者なのだということが自覚できました。
私は確かに偽善者です。盗みを働いたこともあるし、嘘もつくし、殺生にも余念がありません。
私は弱きものです。心が弱い。
欲も深い。欲しい物がたくさんあって、次から次へと新しいモノをカタログで探しています。食欲も、性欲も、羞恥心もありますし、怒りや恐れも消えません。
いくら表面を繕っても、皮一枚の内側にはそういうドロドロの欲が腫瘍のように固まっている。
それが『私』・・・

去年の自殺者も3万人を超えたそうです。
人生の様々な瞬間には、いつ失望してもおかしくない原因がたくさん潜んでいます。
その原因の多くは自分の中にある『欲』が引き起こすものだとか、
欲は苦しみの原点。

欲しい物が買えないという苦しみ。
好きな人に振り向いてもらえないという苦しみ。
金儲けしたいけどできないという苦しみ。
出世したいけどできないという苦しみ。
自分より同僚が先に出世したという嫉妬の苦しみ。

そういう苦しみに耐えることができなくなって
『心萎えたとき』
人は自殺するのだそうです。
欲が深い以上、私にも他人事ではありません。

百八つもあるといわれる欲を全て取り払うことは事実上は難しいことでしょう。
煩悩を全て捨て修行僧のように生きるとは、もはや「生きている」とは言い難い。
しからば、一つでも二つでも取り払うことができたなら、昨日よりは苦しみの種が減って、多少は生きやすくなるということでしょう。

私は生きています。
しかし、自発的に生きているわけではないようです。
まだ死んではいけないと、誰かに言われているように感じるのです。
心が萎えたとき、私も他の3万の人々と同じように死んでいくことでしょう。
でも、今、誰かに必要とされ、生かされている間は生きていくのだと思います。
私は生きています。
同時に私は『生かされて』いるのです。

インターネットが整備され暮らし向きが随分と便利になったように感じますが、それは諸刃の刃です。
機密文書を手に入れて世界中に告発するような、危ない機運も高まっています。
各国が躍起になって隠したがるほどの陰謀があることは、もはや知らぬ者はいないでしょう。
国家の陰謀を暴くのは報道の報道たる所以。
しかし、情報を扱う者は権力をも同時に手に入れることができることを忘れてはなりません。
昨今のような高度な情報を扱うには公平性の担保がされておらず危険すぎます。
ある側面から考えれば、核兵器よりも危険な状態かもしれません。

息子がスカイプを駆使して放課後の語らいをしています。
パソコンの画面に向かって楽しそうに会話する様は異様です。
あるとき、言い争いになった折、そのことも指摘してみましたら
『本当の友達はスカイプの中にしかいないんだ』
と、言いました。

高校受験を控えた息子の3者面談が中学校でありました。
担当の教諭はしきりに過去のデータが、データが、を連呼していました。

今の世の中は生きているという実感が希薄です。
雑誌やTVには私たちの生活を代わりにしてくれる人がいて、いろんな所を旅行してくれたり、危険な冒険をしてくれたり、スポーツも釣りも、全て誰かがやってくれる。
もし旅行に行くとしても、誰かのした旅行をもう一回なぞるだけの事にすぎないし
実感をもって生活するということが難しくなりつつある。

でも、画面の中には人は住んでいないし、過去のデータの中には息子は入っていない。
いくらTVが3Dで立体を映し出したとしても、それは本物ではありません。

手と手を繋ぐことでしか伝わらないぬくもりや、
抱き合うことでしか確かめることができない安堵感
そういったものを飛び越して生きている実感を持つ事は不可能です。

私が畑に向かうのは、決して遊びではありません。
土を耕しそこに種を置き、雨が降った後に双葉が出て、太陽を浴びて葉が伸び、下草を除去し、根が張り、葉が茂り、そして収穫を迎えるという一連の流れが全て実感を伴った
「直接生きる事に触れる」ことの実験なのです。

今年も意味難解な言語を放ち続けることでしょう。
できるかぎり、簡素にお伝えしようと思っています。
今年は一年間、そのことに挑戦しようと思います。

みなさま、今年もよろしくお願いいたします。


スタジオぽっぽ
タナカ ミツオ
2011,1,1記



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 23:34 屋久島・写真・エッセイ

2010年10月27日

真面目ブログーその参


みなさん、こんにちは。ぽっぽです。
真面目ブログその参をやります。
今日は前回残りの
4)アーティスト活動について
5)マスコミについて
をやります。
例によって真面目バージョンの苦手な方はさようなら。また次回逢いましょう。


4)アーティスト活動について
 世界が暴力のない穏やかな住みやすい場所になるために、ボクたちに何ができるかを考えて、世界の人々と手をとりあって平和な世界を創っていきたい。というテーマでやってます。
 具体的な活動はこのブログがメインです。写真を生業としておきながら残念なことですけど、写真だけでこのメッセージを表現しきれないんですよね。敗北宣言のようで嫌なんですけど。
 以前にも書きましたけど、『戦争反対、戦争反対』と、日に三度唱えれば地球上から戦争が無くなるのであれば、喜んで今から必死こいてやりますけどね、現実はそうじゃない。
 だとすると、どうにかして方法を見つけて平和な世界を目指さなくてはいけないと思うんですよ。
 先日、日本の各政党の憲章を読んでみましたけど、どの政党にも同じことが書いてありましたね。
各宗教も同じで、例外なくこのことが目標として書いてあります。
『世界に平和を』
世界の人々の究極の目標でありながら、何百年経っても達成できないのは何でなんでしょう?

 ・・・とは書きましたが、このテーマについてはもっともっと長い長いテクストが必要になりますので、またいつか分割しながら触れていきますね。今回はここで止めておいて次にいきます。

5)マスコミについて
 みなさんの中にご存知の方も多いと思いますが、ボクはかつて新聞社に所属していた時期がありまして、スポーツの取材を通していろいろなことを学びました。現場では自社や他社の先輩から新聞記者としての心構えをいろいろと教えていただき報道人として多くの経験をすることができました。
 しかし、元ジャーナリストとして言うのもはばかられるのですが、ボクはマスコミの流す情報を一切信用していません。『一切』です。
 それというのも、前回の記事で冒頭に述べました『正義』という概念があまりにも一方に偏ってしまっているために、全く信用できないのです。

 例えば、9.11テロっていう事件がありましたよね、来る日も来る日も巨大なビルディングに旅客機が突っ込んで煙がモクモクとあがる映像が流され、崩壊したビルディングの下で決死の形相で逃げ惑う人々の映像が流され、次のショットでは黒ずきんに自動小銃を抱えた兵士が、死に怯え泣きそうな顔をした人質に命乞いをさせる映像を流す。で、最後にあご髭を生やしてターバンを巻いた男が出てきて「ジハード」を叫ぶ。
 そんな映像を毎日流されて、それを見せられた民衆は、どういう感想を抱くのでしょうねえ?中立的な判断ってできるんでしょうか??
そもそも、本当にタリバンって組織がやった仕業なの?3歩譲ってまあ、タリバンがやったとして、イラクに攻め入る口実になったのは何故?最初からイラク攻めが目的の自作自演とかって可能性は本当に無し?逮捕したフセインって本物?影武者?とか、
 そういう風にして、マスコミで発表したことを疑い出したらキリがないんですよ。だから、基本的に信用しない。と、

 近いところでは、郵便の不正で起訴された郵政省のお役人がいましたよね?検察が証拠を隠滅したり、供述を脅し取ったりして起訴したけど、結局バレて無罪放免が決定したという事件。
 この事件でも去年の事件発覚の時点では、この被告の役人はまるで犯人扱いで、周辺の聞き込み取材でも怪しい証言しか放映されませんでしたし、被告を扱う映像もまるで凶悪犯みたいな写真をわざわざ用意して発表してましたよね。家族旅行かなんかで満面の笑みを浮かべてる写真なんか決して出てきません。最近のニュースですので覚えてらっしゃるかたも多いと思います。
 で、無罪が確定した途端、
 『いやー、あんなに面倒見のいい先輩が犯人だとは最初から思ってませんでしたよー』
なんていう周辺取材が出てくる・・・
『オイっ!』とか突っ込みたくなりませんか?
 そんなに簡単に証言が取れるんだったら最初から流せよ。 とか思ってしまうんですよ。

 松本サリン事件で、第一発見者の方が日本中から犯人扱いされた時も同じ構図でした。あの時も日本全国で発見者は犯人扱いしてませんでしたっけ?
 野茂さんがアメリカメジャーリーグに行きたいと言い出したときも同じように日本中でバッシングの嵐でした。ボクは野茂さんが人一倍ストイックに野球に取り組む姿勢を直接見て知っていましたし、朴訥(ぼくとつ)としてましたけど純粋な人だということを知っていましたので、心から応援していました。
が、世間ではまるで売国奴扱いで、悪人のレッテルを貼って二度と日本に帰ってくるな!くらいの勢いでアメリカにたたき出したのですよ。「送り出した」のではなく「たたき出した」のです。
 その後に続く松井君や松坂君の成功により、アメリカ大リーグへの道を切り開いたパイオニアとして何事もなかったかのように報道されるわけですが、自分たちの犯した過ちを検証したマスコミが一件でもあったでしょうか?

 まだあります、ドイツが核兵器を完成させたらしいぞ、早くこっちも作らなければ全滅させられてしまう! と、集められた科学者たちが人類破滅兵器を作り出したのがマンハッタン計画です。
 そんなの昔話じゃないか、と言うことなかれ、
『大量破壊兵器があってヤバいらしいぞ』といって始まったのが2003年のイラク侵攻ではなかったか?
 人々は歴史に何を学んできたというのだろう?何回同じ間違いを繰り返したら気が済むというのだろうか?
 マスコミの重要性は当のボクもよく知っています。
政府が軍事独裁制に走ってしまわないように、政府の不正を厳しく監視して、告発するのがマスコミの唯一の存在理由だったはずです。
体制側のプロパガンダ(主義・思想の宣伝)として加勢してどうする?
 マスコミの報道は一歩間違うとえん罪を生みます。世論を操作できるだけの強大な力を有します。バラエティーのアホ番組を見ている間はそうでもないでしょうけど、ニュースや新聞、報道まがい番組にはとても危険な思想が潜んでいるのです。ですからみなさん。慎重に。吟味して、疑いながらニュースは読んでいってくださいね。

と、こんな感じで真面目ブログ基本編を3回に渡って掲載してみました。
今後はこういう立ち位置を基本にして、いろいろと普段から考えていることを書いてみたいと思います。
本来なら、コメント欄とかも復活させてみなさんのご意見も聞きたいところではありますが、荒らしの方の書き込みも困りますし、変なスパムコメントとかの削除も面倒くさいので、コメント欄は無しとさせてください。
メールにてのメッセージは大歓迎いたしますし、返事もちゃんと書きます。必要な課題が出てきたらこのブログでも検証してみたいと思いますので、みなさんのご意見、ご感想は是非お願いします。(面倒くさいシステムですいません)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 14:01 屋久島・写真・エッセイ

2010年10月25日

真面目ブログーその弐


みなさま、こんにちは、ぽっぽです。

ぽっぽ真面目バージョンブログ、第二回目は
3)教育について
4)アーティスト活動について
5)マスコミについて
の3本です。
例によって真面目バージョンの苦手な方はさようなら。また次回逢いましょう。

では、さっそくいきます。
3)教育について
 最初に、現場に立っている教職員の方々の類い稀なる努力にまず敬意を表したいと思います。教育現場に立つ教師の多くは自分たちの生活をも犠牲にしながら日々悩み、真摯に子供たちの将来、日本の将来に全霊を注いでくださっています。そういう姿を目にするたびにありがたいことであると常々思っているところです。
 したがって、これから述べます論点は教育の現場からは離れ、日本のとっている立場に絞ってまいりたいと思います。正義の項でも述べましたが、立場というものはそれこそ自分の立っている場所によってものの見方、考え方が大きく違ってきますので、これまで実際に二人の子供を育ててきた経験に基づいて、ボクが実際に感じたボクなりの独自の偏見で書きたいと思いますので、予めご了承願います。

 まず、ボクの目標とするところの教育は ”自分の頭でものを考えて、自分の手足で行動する人になってほしい” というものです。ボクたちが子供に伝えられることって、ごくごく限られた分量しかなくて、二十歳を超えてからもストーカーにみたいについて回って、アレしろ、コレしろと指図するわけにもいきません。したがって、学習の基礎の部分は手伝ってあげるとして、あとは自分で考えて行動しなはれ、という立場に立ちたいと思っているのです。つまり『生きる力』というものを身につけてほしいと常々思っているというわけです。
 世の中には学歴で生活できている方もいらっしゃいますので、異論反論はあるかとは思いますが、決して「偏差値がこれくらい」とか、「○×大学に入って・・・」とか、そういう、いわゆる”学歴社会に適応する”というのが目的ではありませんので、それを踏まえた上でお読みいただけるとありがたいです。

 さて、日本の教育システムについては大いに疑問を持っています。何より、常に『ひとつの答えを求めるところ』が疑問です。
 例えば、エジソンの少年時代の逸話でしたか、1+1=2という問題があったときに、校庭の泥場に走っていって泥だんごを2つこしらえて、先生の目の前で一個にまとめ、1+1=1のときもあるんじゃないの?と、迫ったそうです。
エジソンの話はアメリカでの話ですけど、日本でもシステムとしては大差ないわけで、日本の教育では決しては1+1=1の概念は認められないということでしょう。
 でも、これ、現実的に目の前で起こっている現象なので、1+1=1でも正解ですよね?1+1=2という問題はあくまでも「質量」という定義があって初めて成立する設問です。
 しかし、少年が走り出した時点では質量の問題ですという定義がなかった。
問題が曖昧すぎて、この少年は走らずにはいられなかったのでしょうね。きっと。
 日本の教育ではどうしても一つの問題に対して一つの答えを求めたがる。質問に対する答えに選択の余地がないんですね、多様性を認めないというか。
 本来なら『あっ、ほんとだ。1+1=1も有りかもしれないねぇ、では1+1=2と1+1=1の違いとは何なんだろう?みんなで一緒に考えてみようか?』 
 と、教師が誘導してあげるというのが教育の原点であって、数学が途端に面白い学問に変化する瞬間だと思うんですけど、時間がないんでしょうかね?なかなかそれはできない。
 サイン、コサインとかの三角関数って実際に生活に役立ててる人ってどのくらいいるんでしょう?
それよりも、1+1が1でない理由を考えるであるとか、ゼロの概念であるとか、そういう生活に根ざした深い思考を促すような学問を、幼い時期からじっくりと時間をかけて浸透させていくっていう道はないもんでしょうかね?
 いじめの問題はどうでしょう? 人と違っていることが標的となっているように思いませんか?
出る杭は打たれるというか、事なかれ主義というか、人と違っていることが当たり前で、すばらしいことだなどとは決して教えない。一応、道徳の授業かなんかでは取り上げているようですけどね、教育システム自体がホントにそうは思っていないように感じるんですよね。
 先ごろ息子たちの通う小中学校で運動会がありましたけど、入場行進なんかで「右向け右」っていうやつ?まだやってました。昭和か!(笑)
 あれ、右向かない奴は「面倒くさい奴」というレッテルを貼るんでしょうねえ、未だに。ていうか、99%の右向いてる奴らをどの方向に導こうとしてるんでしょうか? 良い大学入れて、一流企業に入れるのが目的なんでしょうかね?一流企業に入れたところで『コマ』みたいに扱われて終わり。のような気がするのはボクだけでしょうか・・・?
 先日、海外の軍事パレードを見てて、一糸乱れぬ行進が映し出されましたけど、あれ、気持ち悪くないですか?(規律があって清々しいと言う方、ごめんなさい)ボクはとても気持ち悪いんですね。みんなが同じ方向を見てる時点でとてつもなく違和感を感じるんですよ。まあ、軍事パレード自体は軍人の軍人としての仕事ですから、あれはあれでいいんでしょうけど・・・
 右向け右で、左の方向を向いてる奴も一先ずはアリか。と緩やかに、そして自由に議論できる環境がある方が発展性があってよろしいのではないかと、そう思います。
 また例によって長くなってしまいましたね。本当は3本立てでいきたかったのですが、これ以上やると息苦しいので今日はこれだけにしておいて、残りの2本はまた次回の宿題ということで、本日はこれにて終了したいと思います。
 コメント欄は生きていませんが、ご意見ご感想はどしどしお寄せくださいね、みなさんで議論していきましょう。
 では、本日はこの辺で。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 17:00 屋久島・写真・エッセイ

2010年10月13日

真面目ブログーその壱

みなさん、こんにちは ぽっぽです。

先日、このブログで今後しばらくは真面目に取り組むと宣言しましたので
早速その真面目編でやります。
読むのが苦手って方は是非、退避願います。

さて、真面目編を扱うにあたっては
ボク自身の立ち位置を少々確認しておかなければならないと思いまして、
真面目バージョン初回編にあたり、その辺を身辺整理してみようと思います。

☆『正義を主張しない』の宣言☆
まずはじめに正義の持ち方について考察をしなければいけません。
 おそらく、このことがブログ全体のキーワードになっているんじゃないかと思うので一番最初に書きます。
 ボクは最近になって「正義」とは非常に危険な考え方だと思うようになりました。
 自分が正義だと思っているものでも、見る人の立場によってはまったく逆の見え方をすることが多いんだなあということを気付いてしまったのです。
 自分の持っている『正義』を振りかざすときって、決まって摩擦が生じていませんか? みなさんも夫婦喧嘩とかする時に思い当たる節はありませんかね?
 自分の正義がこうだと思った時に、自分の正義は本当に宇宙から見ても普遍的に正しいのかどうか、疑いの気持ちを忘れないようにしないと、正義と正義のぶつかり合いに平和的解決は見出せないような気が最近するのです。従って、ボクは自分の持っている正義感には非常に自信がありません。
 兎に角、このブログでは決して逃げ腰なわけではなくて、あくまでボクはこの方向が正しいと思うんだけど、まあ、あとはみなさんで個々人が判断してくださいね、という立ち位置でいこうと思います。たぶん、その方が正しい道に行くような気がするのです。

次に、ボク自身の解析ですが
1)支持政党=特になし
2)宗教的所属=特になし
3)教育=大いに関心あり
4)アーティストとしてのポリシー=世界が暴力のない穏やかな住みやすい場所になること
5)マスコミ=全面的に信用しない
と、まあこんなとこですか。
また思い出したら書き足していきます。

では細かく分析を開始します。
1)支持政党についてですが、現在日本のとっている立場である『資本主義社会』に対し、そもそも疑問がありまして、もしかしたら自分は共産主義者なんじゃないか?と思ったことがありましたので、マルクスの書いた資本論(の解説本)や共産党宣言などを読みあさってみました。結果、多くの部分で一致するところ、共有できるところがあるのは認めましたが、平和に対するアプローチの部分で決定的に差異を感じるに至りましたので、逆に自分が共産主義者ではないことが十分確認できました。

 資本主義者でもない、共産主義者でもないとすれば自分はいったい何を拠り所として生きているのだろう?と、考えましたが、最近、資本主義でも共産主義でもない、第三の主義者[=ここでは仮に「平和主義」とでも命名しておきましょう]なのではないかと思ったわけです。
 全く新しいわけではありませんが、既存の概念からは少しはみ出したところ、という感じでしょうか。そういう意味ではヒッピーと呼ばれる方々の活動が最も近い感じがしましたので、そういう主義の方々へも積極的に接触するようにしていますが、少しだけ違和感を感じていますので、ヒッピー主義というのもちょっと違うかも知れません。

2)現在、ボクは所属している宗教はありません。支持しているものも特にはありません。
 オ○ム真理教の事件以来(小さなものはもっと以前からあったとしても)新興宗教においては、とても強い抵抗感があることは、みなさんも共有していただける認識だと思います。新興宗教に入れば『洗脳』されて、家土地財産の全てを奪われてしまうんじゃないか、とかそういう妄想が広がっているんだろうと思います。
 宗教を敵視するような偏見や、宗教に関する理解度の低さは、偏に戦後の核家族化における宗教の世襲制の断絶が主な要因かと推測します。おじいさんや、両親から『我が家の宗教はこんな神様でね、こういう気持ちで過ごしたらいいんだよ』などという口伝継承が途絶えたために、我々世代、我々の親世代に宗教離れが起きたのではないかと推測するのです。
 しかし、逆の意味でとらえると、私たちは今、本当の意味での宗教選択の自由を手に入れている状態ともいえます。
 宗教が我々の生活から縁遠くなって久しいわけですが、こういうデリケートな問題は学校なんかではもちろん教えてはくれませし、ましてや、友人同士での話題に上ることもまずないでしょう。しかし、生きていく上で不安を抱かない人間はいないわけで、そういう気持ちになった時の心のよりどころとしては最終的には宗教しかないと思うのです。
 しかし、前途しました通りこれだけ宗教とはかけ離れた生活をしていますと、宗教の何たるかが分からずに疑心暗鬼にかかります、そこへオ○ム真理教のような事件が重なりますと、もはや宗教に対するアレルギー反応のようなものが生まれ
[宗教=アンタッチャブルなもの]
という図式になってしまうのも仕方のないことと推測するわけです。
 これらの持つ問題点はすべて『不勉強』という言葉に集約されると思います。今世界にある宗教がどんな生い立ちで成立しているのか? どういう関係性があるのか?を探ることはとても重要なことで、それらを怠っておきながら、宗教全般を毛嫌いするのは何か違うと思うのです。
 ボクは最近の読書において、まずはこの宗教というテーマについて勉強することにしました。2001年の9.11テロ事件以降、イスラム教って怖い宗教だとばかり思っていました。
 いろんな書物を読んでいると(言うまでもないことですが)イスラム圏の人たちは人情に厚く、愛に満ちあふれた人たちだということが分かりました。確かに、テロのような過激な行動に出る人たちも一部にはいるのかも知れませんが、原理主義者のほんの一部の人たちなんだということが分かってきました。いわゆる『正義』を曲げることができない人たちとでもいいましょうか・・・。
 さらに、キリスト教と、イスラム教、ユダヤ教は親戚のような関係であることも分かりました。それぞれの教典を大まかに拾い読みすると、言ってることも基本的な部分では同じなんですよね。
 この辺から先の話になると少し紙面が足りませんので、今編ではこのくらいにして、これ以上の深い考察は次回以降に回したいと思います。
 ひとまず、今編の結論としては、宗教に関しては民衆の『不勉強』による『誤解』が招いた史実が、とてもマズい文化だったんだろうと思うのです。
 図書館に行けば、そのものズバリの本がたくさん出ています。読書の時間がないというのは言い訳に過ぎないのではないでしょうか? 読書に興味が持てないは致命的と言っておきましょう。
 みなさん、本を読みましょう。みんながそれぞれ興味のある本を読んで、それぞれの感想を語り合いましょう。こんな苦境な時代だからこそ、みんなで力を合わせてこの時代を乗り切る希望を見出しましょう。政治家なんかにボクたちの住んでいる世界を任せてはいられません。ボクたちの世界はボクたちで守るのです。


少し長くなりました。
文字ばっかりのブログって読み飽きますよね? 今回はこのくらいにして、3)以降の考察はまた次回にまわします。
ではみなさま、ごきげんよう。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 20:36 屋久島・写真・エッセイ

2010年10月08日

石鹸のかほり


先日、中3の息子に
「お父さん、なんだか石鹸の良い匂いがするねえ」
と、言われました。

お風呂からあがったばっかりだったので
石鹸の香りが漂うのは、当然といえば当然のことなのですが
”汗くさい”だの、”加齢臭”だのと日頃から虐待を受けている身にとっては
心のオアシスというか、砂漠に水がしみ込むようにというか
とても救われた気持ちになったのでした。

”ことば”というのは使い方を一歩間違えると相手を傷つけてしまったり
あるいは、見えない凶器として相手を死に追いやったりすることもあるわけで
日々慎重に選びながら、大切に使わなければいけないものですが
その一言で相手を気持ちよく癒したりもできるのだから
ことばというのは、やっぱりとってもステキなものなんだと思います。

だから、これからは息子に見習って
たくさんの善きことばを送れる人になりたいと思いました。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 10:03 屋久島・写真・エッセイ

2010年09月30日

強化月間の反省、そして、これからのこと



今月はブログ強化月間として
当ブログサイトを、ほぼ毎日更新することに挑戦しました
初めての挑戦でしたが、いろいろと得るものもあり、それなりに充実した一ヶ月でありました。

日々のブログネタを拾うために、カメラの携行は欠かせませんでした。
”カメラマンなのだからカメラを携えるのは当然のことでしょ?”
と、思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、
それは逆で、日頃『仕事』として写真を撮っている人間としては
仕事を離れた『日常』の時くらいは、カメラのことは考えずに
写真から離れた生活がしたいと思っているのです。
その考えは基本的に今現在も変わりません。

”ブログのため”に半分以上『仕事』としてカメラを携行するような生活でしたが 
新聞社を辞職して、新聞記者から離れること10数年、
久々にカメラで日々の生活を記録する。という活動をしてみると
意外にも『楽しい』という感覚になったのは自分でも驚きでした。
それは、写真を志した小学生か中学一年生の頃の感覚に似ていたかもしれません。

当ブログは、ボクと妻の二人で運営している『STUDIO POPPO』というお店のブログです。
宣伝用という意味も多分に含んでおりますが、なによりも
スタジオぽっぽを好きで、何年も通ってくださっている大切な、大切なお客さまへ
”最近のぽっぽちゃんはどうしているかしら?”
という近況のご報告の意味を込めて書かせていただいております。
また、新しくスタジオぽっぽで写真を撮ろうかしら? と、考えていらっしゃる初めてのお客さまが、
”ぽっぽちゃん(←ボク)ってどんなヒトなんだろう?”
と思った時に、
”こんなヒトですよ。いつも「変わってるね」って言われるけど、意外とマジメに考えているんです!”
みたいなことを表現できたらいいなあ。という思いで一生懸命に書いています。

公務員の父に育てられたためか、根がややこしいことを考えるのが好きな性格なので、普通に書くとやたらと意味難解な文章になりがちです。(←ほら、既に読みにくくなっているでしょう?笑)
ですから、せっかく見に来ていただいたみなさまに、もっと気楽に読んでいただこうと、くだらないネタも多数挿入しながら運営しているわけです。

でも、本当に伝えたいことは、そんな「おバカネタ」ではありません。(あたりまえのことですが・・・)

ですから、来月から暫くは『真面目ブログシリーズ』でいきたいと思います。
あまりに長い文章ですと読むのも大変ですので、適度に区切りながら
数回に分けて、いろいろな内容で書き綴っていきたいと考えています。

そこには、これまで自主規制をかけて自分のなかで『タブー』としてきた
宗教のことや、政治のこと、教育のことなど
きわどいテーマにも積極的に取り組もうと考えております。
お店のブログということで、社内検閲を施した後ということにはなりますが
できるだけ真摯に書いてみようと思っています。

七五三やポストカード、成人式や、結婚式と、来月からが一年で一番忙しいシーズンですので、そんなに頻繁には更新できないとは思いますが
みなさま、お付き合いの程、よろしくお願いいたします。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_

  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 13:20 屋久島・写真・エッセイ

2010年09月13日

銀杏通り



国道10号線の起点、平田橋のあたりから照国神社の方向へ
一直線に伸びる街道沿いに、イチョウの並木道が続いています。
秋になると一面が黄色く紅葉して、とっても風情があって好きな通りです。
高校生の頃、生涯初のデートで勇気をふりしぼって
初めて女の子と手をつないだのもここでした。
自転車に二人乗りで図書館へ通ったり
アイスを食べながら行ったり来たり、ただ歩くだけのときもありました

そんな想い出のたくさん詰まったこの通りが大好きで
ウィンドショッピング好きの妻が買い物をする時間を利用して
時折こうして一人で歩いてみたくなるのです

不意に後ろから”トントン”と肩をたたく人あり。
最初は妻かと思いましたが、振り返ってみても誰もいません・・・
不思議なこともあるもんだと訝(いぶか)しく思いながら
再び前を向いて歩き出すと、今度は足元へ
”ポトリ”と落ちた銀杏ひとつ・・・
犯人は君だったのか、銀杏くん。

最近どうも元気がなくて
ついつい下を向きながら歩くことが多かったボクの広くなった背中に
空中からいたずら銀杏くんの叱咤激励か
『しっかり前を向いて歩きなよ!』
と言われたような気がして
久しぶりに背筋を伸ばして銀杏通りを見上げてみれば
そこには、気の早い紅葉がもう始まっていて
季節の移ろいがありました

再び”トントン”と肩をたたく銀杏くんあり。
もう下なんか向いてないよ、と
振り返ってみれば、そこには
あの頃とちっとも変わらない笑顔で
買い物袋を両脇に抱えた君が立っていました





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_




  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 22:13 屋久島・写真・エッセイ

2010年07月26日

プチ旅行


みなさん、こんにちは。
めっちゃアツイっすねぇ。 夏っスねぇ〜 泳ぎに行きたいっス〜
坊津行くべか、来週くらい。



さてさて、今日のお題ですが
先日、ちょいと私用で汽車に乗る機会がありました。
都市部の方ではもっぱら『電車』といいますが、
鹿児島のような地方都市では『ディーゼル機関車』しか走ってませんので
『汽車に乗る』という表現になります。



鹿児島駅から姶良駅までは、ほんの20分にも満たない乗車でしたが
日頃車でしか移動しないようなところを、あえて汽車に乗ってみると
車窓からは、錦江湾と桜島のすばらしいパノラマを乗車中絶え間なく見る事ができて
鹿児島って、やっぱりすばらしい街だなぁと、改めて感じる事ができました。



通勤や通学に使っている方々には、ほんのささいな「日常」かもしれませんが
ボクにとっての「日常」であるクルマ社会から離れて、こういう「非日常」に身を置いてみると
こんなに身近なところに、こんなに素敵な鹿児島がまだまだ隠れていたんだと思うと
今までもったいない事をしていたねぇと、感じました。

海外旅行とか行ってる場合じゃないね。マジで。
まずは自分の足元の、こんなステキな鹿児島を
もっともっとたくさん見つけたいと感じた、姶良プチ旅行でした。






〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_

  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 11:32 屋久島・写真・エッセイ

2010年07月15日

こゝろのおそうじ



最近、不思議なことが起こっています。それは、

『おそうじ』

梅雨の長雨で落ち葉やら、伸びた芝生やらのお手入れが滞ってしまい
スタジオ周辺はすっかり「荒れた」状態に……
これじゃ〜いけないってんで、いろんなとこのお掃除をしているという訳です。

スタジオ内を徹底的に拭き拭きしてみたり、
スタジオの屋根に積もった桜島の「灰」を除去してみたり


一回の作業で30袋以上出ます……凄いことです……汗。。

ゴミ出しのついでに、道端に落ちているゴミを拾ってみたり


この日は少ない方でしたが、ほんの100m歩くだけで、こんなにたくさん取れます。 マジで

今日も道路に落ちた葉っぱを集めてみたり
(冒頭の写真、これは明日ぽっぽ村の肥料になる予定)
トイレをキレイに掃除してみたり

そういうことをすると、必ず、決まって終わった頃にお電話が鳴ります。
最近お電話ないねえ、と思っていたお取引先さんや、
あのお客さんは赤ちゃん生まれたかねえ、と話してた矢先に
必ず鳴ります。 不思議……。

今日も落ち葉掃除を始める前に、
最近『マタニティーフォト』を希望されるお客さまが多くて、なにか案内を作らなきゃねぇ、と
YUKIさんとホームページのことで話し合いをしていました。

ぽ:「この前撮ったあの人はどうだろか? とても美しく撮れたんだけど……」
Y:「とても綺麗だけど、お肌も見えてるし、抵抗あるんじゃない?」
ぽ:「だよねぇ……、惜しいなぁ、綺麗なんだけど……」
Y:「仕方ないわねぇ、話にくいけど、思い切って今夜電話して頼んでみるわ」

というような会話があったのですが……

はい。

鳴りました。

見事に。

お電話。

本人さんから。

8月にまた撮影にいきますねぇ、というご予約のお電話……。

わおっ。と思って、ホームページの件を相談すると
二つ返事でOKをいただきました。
ありがとう〜〜 T様ご夫妻。
ご快諾いただき大変感謝しております。
とっても綺麗な写真なので、また後日このブログでもご紹介しますけど
多分、今までの写真の中でも1.2を争うほど綺麗な写真だと思います。
神秘的というか……。。

と、そういうことで、わらしべ長者ではありませんが
お掃除するたびに、お仕事が増え続けております。

これはきっと、お掃除をすることで
心に溜まったモヤモヤまでスッキリなって
波動が整うんだと思います。

気持ちをリセットして、みなさんを受け入れる体制ができましたよ〜
っていう波動がどわぁ〜〜って伝わっていくんだと思います。

じゃないと、こんなに連続はおかしい。

なんか…、誰かに見守られてる?? 的な、
そういう感覚って……ない……ですかね? ないですよね……




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_

  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 23:20 屋久島・写真・エッセイ

2010年06月24日

紫陽花

[EOS KISS X4 / EF35mmf2.0 / kenco CLOSE-UP No2 / 1/125sec F9.0 ISO800 RAW ]

一週間降り続いた雨がようやく上がりましたので
ハナちゃんと、久しぶりにお散歩へ出かけました。
すると、道端の紫陽花にカタツムリを発見!

そのまま逃げないでね〜
と願いながら、急いでカメラを取りに帰って
何枚か撮ることができました。

洗濯物も乾かないし、何でも億劫になりがちだけど
こういう写真を撮れるのもこの時期ならではのことですし
今ある状況を素直に受け入れてみれば
この梅雨の時期でさえ、そう悪いものでもないのかな……
と、考えを新たにした朝でした。

今夜からまた雨、降るそうです。
仕方ないですね。
夏、渇水で大騒ぎするよりはマシってことで、良しとしましょう。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 11:05 屋久島・写真・エッセイ

2010年06月17日

ツノマキ



みなさん、こんにちは。ぽっぽです
梅雨らしい雨が降ってますねぇ。
お庭スタジオの芝刈りをしていたら、雨が降ってきたので中断してしまいました。

昨日、屋久島から船でやってきた父親が、屋久島の伝統的な『ツノマキ』という
郷土菓子をおみやげに持ってきてくれました。

「ダンチク」という笹みたいな葉っぱに、餅米を入れて灰汁(アク)で煮るという、ちょうど「知萬木(チマキ)」みたいなもので、日本各地にも似たようなお菓子があるそうなのですが、そのチマキのことを屋久島では『ツノマキ』と呼んでいるのだそうです。
で、コイツに砂糖と、きな粉をまぶしていただきます。おいちーよー

屋久島では古くから端午の節句(5月5日)には、このツノマキや、かからん団子
かからん団子に関しては以前書いたブログ参照↓ 
http://studiopoppo.chesuto.jp/e222220.html
などを各家庭で作って食べるという習慣があるのです。 が。

端午の節句って5月じゃね?  なのになぜ? 今6月。なぜ今なのぉ〜? 
と、思ったのですが、『は!?』 と、気がついたことがあって調べてみますと……

やっぱりね。ありました、ありました。
答えは、旧暦にありました。
月の満ち欠けを応用して作られたという「太陰暦」のことを旧暦という呼び方をするのは、ご存知の方も多いかと思いますが、
昨日はその旧暦でいう5月5日。端午の節句の日だったのです!! WOW

屋久島の小さな集落では、今でもお盆や、正月などの伝統行事が全て旧暦にならって行われています。
その方が植物の成長などが季節に合っていて、こういうお菓子を作るのには都合がいいのだそうです。

今の太陽暦が採用されたのは1873年の明治維新の頃だそうで、ほんの140年ほど前に過ぎませんが、今でもこうして古くからの習わしを伝える人がいて、そういうのを大事にしてる屋久島って、やっぱり素敵な島だなぁ、と思いました。

ただ、この伝統も後継者が不足していて、存続の危機に瀕しているとのこと。
こんど屋久島に帰ったときに、親戚のおばさんにお願いして
いろいろ教えてもらわねば。商売になるかもね。 違うか(笑)





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 17:27 屋久島・写真・エッセイ

2010年01月07日

エコドライブ



最近『アイドリンクストップ』にハマっている。

エコ運転とかいうと、なんかエエかっこしいみたいでアレなんだけど
やってみたら意外とおもしろい。

信号で止まってエンジンを切ると、カーステレオも止まってしまうので
車内は一瞬、とっても静かな空間になる。
車って意外と騒々しいもんなんだなぁ〜って、あらためて実感。

慣れてきたらエンジンを止める前に少し窓を開けてみる。
いつものような一瞬の静けさが通り過ぎた後、
窓からは堰を切ったように、街の喧騒と独特の匂いが一気に押し寄せてくる。

少し走っただけなのに、街角ごとに匂いがまるで違うのが とってもおもしろい。

街の匂いを嗅ぐおもしろさに目覚めたら
いつもと違った道を選んでみるのもまた善い。

自分の住んでいる街にも、こんなおもしろい所があるんだねぇ〜
って、旅行気分が味わえたり

夜ともなると、いつもの街はもう異次元のおもしろさ。
ここが鹿児島!? って思ってしまう。

車という密閉された空間で、戸口から戸口へ移動する生活に慣れてしまうと
そういう感覚が欠落してしまってどうもダメだね。
公共交通機関が都会ほど発達していない鹿児島は
生活や仕事をするのには、どうしても車に頼らざるを得ないから
たまには、エンジンを切って街の空気を吸ってみるのもいい。

いつも見えていなかったものを発見するのがとても楽しい今日この頃
みなさんも、エコがてらにおひとついかが?(笑)
ただし、街の景色に気をとられすぎて青信号で後ろの車から
「ブッブ==」
て、鳴らされないように、くれぐれもご注意を。(笑)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_


  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 00:52 屋久島・写真・エッセイ

2010年01月02日

年頭のごあいさつ


2010年もつつがなく明けましたね。
みなさま、善いお正月をお迎えですか?

2009年の交通事故での死亡者数が57年ぶりに
5000人を下回ったのだそうです。
めでたいことです。
自殺者数は相変わらずの3万人台と、
こちらにはシートベルトを着用しても効果なさそうですね
やれやれ。

毎年恒例の年始のご挨拶でございますが
今日もまた少し長くなる予定ですので、
携帯でご覧のみなさま、またも「退避」をお願いします(笑)

えっと、一年の計は元旦にあるそうで
今年も相変わらずのペースで、このおバカブログを
続けてまいりたい所存であります! ピッ。
(ていうか、今日はもうすでに元旦ではありません・笑)

昨年は自信がなかったので泣く泣く見送りましたが
今年こそは『農業』に挑戦してみようと思います(笑)
・・・ははは、
って、そんな大げさなものではないのですが
市が提供してくれている市民農園の募集に応募してみようかと、
なんか、仕事を忘れて没頭しそうで怖かったので去年は見送ったのですが
今年はなんとなく、仕事と農業の(気持ち的な)両立ができる気がしていますので
本格的に挑戦しようと思っています。
ちなみに、現在中2の息子1は今年の4月から受験生。
でも、そんなことおかまいなしに農業に従事してもらう予定です(笑)
勉強より大事なことが世の中にはたくさんあるんだよ。少年。ガハハハは。

冗談はさておき、
先日、ミクシのニュース欄にステキなコラムを発見しました。
ミクシによりますと、『「Chikirinの日記」において、2005年10月7日に掲載されたエントリーを再構成したコラム』
だそうで、興味のある方は「Chikirinの日記」でググっていただけると本文をご参照いただけると思います
(今回はあえてリンクを貼りませんので、悪しからず)

コラムでは、若い時のほうが満足の沸点が高いために
若者は社会や自分に対して常に不満を抱えた状態にあり、
歳をとるにつれて満足の沸点が下がり
どんなことでも満足を感じることができるようになる。
と、いうような内容のものでした。

コラムの方はその後、どうやって満足の沸点を高く維持し続けられるか?
そいうような方向で展開していくので、ボクの嗜好とはかけ離れていくのですが
ボクの場合は沸点の低い方にとても興味がありまして

例えば、高級スポーツカーが欲しいだの、
高額カメラが欲しいだの
そういう物欲を満足させるためにたくさん仕事して
たくさん稼いで、他の人より良い暮らしをして・・・
と、いう方向じゃなくて、

今日のお味噌汁は美味しくできたね〜とか
お風呂って温かいね〜とか
お布団で寝られて嬉しいね〜とか
君と一緒にいると幸せだよ〜とか
まあ、そういう他愛もない毎日に幸せを見つけることさえできれば
心穏やかに充実した日々を送ることが出来るんではないか、
と、思うわけです。

世界的にみても確実に日本の暮らしは裕福なわけで
そんな状況に何の不満もないわけで、それならば
今の状況に感謝して、明るく、楽しく暮らす。
それだけでもう十分なんじゃないかと思うのです。

これ以上の高望みはよしましょう。
今がイチバン。 今日がイチバン。

・・・・
とか言いながら、今年も価格.comで
気になる「あの」カメラのチェックは怠らないし(笑)
仕事以外での趣味カメラも買っちゃうかもしれないんだけど
あはは、
それでも、気持ちだけは日々の暮らしに満足して
ささやかな幸せに感謝する。と、
そういうスタンスでいきたいと思ております。

みなさま、今年もよろしくお願いいたしやす。


2010年 1月 2日 ぽっぽより



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 18:09 屋久島・写真・エッセイ

2009年12月27日

毎年恒例、年の瀬のご挨拶



みなさんこんばんは。 ぽっぽです。

気がつけば師走。 
ていうっか、あといくつ寝るとお正月やねん?
ていうくらい年の瀬ですね。 いや、まいった。

今年の営業は12月30日まで、大晦日はお休みをいただきますが
新年は1月1日元旦から時間営業いたいしゃす。
来年も働き者でいきます。(笑)

さて、今年の更新はこれにて納めさせていただこうかと思っておりますので
今日はちと、マジメばーじょんでいきます。
少し長くなりますので、携帯でこれ読んでる方は退避願います。(笑)

さてさて、とは言ったものの、何から書いたらよいものやら……

え〜、今年は一年を通して本をたくさん読んだり、いろんな方にお話を伺ったりと
大変に刺激の多い一年でありました。
ボクの作家としての方向性について深く思考を巡らせ、そして答えを得た年でもありました。

こうしてブログというメディアを通して
みなさんへメッセージを届けることも方法のひとつとなりました。
それだけに自己検証を怠ることなく、責任の持てる発言を心がけました。

社会へも目を向けるようになりました。
(まあ、年齢が年齢ですので当たり前のことなんですが……)
世界の平和と、これから人類が迎える困難を考えました。

残念ながら、明るい材料は何一つ見つけられませんでしたが
それでも希望だけは失うことなく、持ち続けることができました。

みなさんもご存知のように、地球上では様々な異常現象が起きています。
地上ではあらゆる種類の動植物が絶滅の危機に瀕しているそうです。
その中でも異常といえる速度で増殖している種があるのだそうですが
それがそう、『ヒト』であることはみなさんご周知のとおり。

地球上の定員は60億が限界だそうです。
で、今はそれを遥かに超えた67億人。
スペイン風邪が流行した90年前と比べて3.5倍も増えているそうです。
(↓下記アドレスは以前に書いた新型インフルエンザに関するデータベースです、ご参考までに)
http://studiopoppo.chesuto.jp/e51983.html
http://studiopoppo.chesuto.jp/e170584.html

こんな危機的な状況の中で今のボクたちに、いったい何ができるというのでしょう?

『戦争反対!』と日に三度唱えれば世界から戦争が無くなるのであれば
みんなでそれを唱えるとしましょう。
でも、それでは何の問題解決にもならない事くらいみんな知っています

一体なにが問題でその問題の根本は何かを探ることで
何かのヒントにはなりはしないだろうか?
そう思って今年の後半から実験的に『外国為替証拠金取引』
いわゆる『FX』と呼ばれているものに取り組んでみました。

取引はハイ&ロークイズみたいな感じのとても簡単な仕組みで
予想がうまく的中すれば実際の口座に実際に金額が増えていきます。
何も生産せず、何も物流しないのに金額だけが動くという点から考えると
非常に賭博的な要素が強いものでした。
賭博的な要素があるということは、常習性、依存性があるということです。

実際、取引が始まったころはビギナーズラックも重なって
結構な金額が増えました。
金額が増えると、面白ものですからどんどん取引にのめり込んでいきます。
しかし、ある時を境にまるでバブルが弾けるように
(実際には「ドバイショック」と呼ばれている金融危機が引き金になりました)
それまで増えた金額と、それと同額か、それ以上の金額を巻き込んで
損失が膨らみました。
そして、今度は出した損失を埋めようと強引な取引に首を突っ込んで
さらに……
と、いうようなことが密かに繰り広げられていました。
取引をしている間中ずっと、精神の浮き沈みが激しく
とても神経がささくれ立って、心が渇いた状態で日々を送っておりました。

一連の実験を終え、ある種の結論に達しましたので、今現在は外国為替証拠金取引からは手を引いており
元の非常に穏やかな日々に戻りましたが、あの頃は一種『病的な状態』だったと言わざるを得ません。
そして、この辺りに今日の混沌とした諸問題の根源が
凝縮されているような気がしてならないのです。


我々は地球上に生まれ、現在も地球上に住んでいます。
地球は毎日、ものすごいスピードで一日に一回転しています。
一年で、もの凄い距離太陽の周りを飛んでいます。
でも、地球上に住むボクたちにその速度を実感することはできません。

昔、ニュースでそれと同じようなことを聞いたことがあります。
アフガニスタンの子供たちは生まれながらにして戦争の中で育つので
少年兵として戦争に参加していくのに何の疑問も抱けないのだというのです。
不幸なことです。

ボクら日本人は幸いなことに生まれながらにして
平和な国で育ちました。 みんなが平等で、自由な世界……

……果たしてホントウにそうでしょうか?

地球上に住んで地球の自転を確認できないと同じように
戦後の資本主義社会に生まれて育ったボクたちに
ボクたちの世界が本当に正しい姿であるかどかを検証することは困難です。

予めお断りしたいのですが、ボクは共産主義者ではありません。
しかし、東西冷戦で、あたかもソビエトは悪者であるかのような教育を受けてきたボクが
自分で自分を否定するような、自分を共産主義者であると認めることができるのか?といえば
はたして、それには確固たる自信を持てません。
しかし、武力で周りの国を威圧して連邦とした「ソビエト主義」でないことだけは自信が持てますし、
天安門で声を上げた自国の若者に戦車で伸し掛かって鎮圧した「中国主義」でないことも確かなことです。
しかし、先住民を銃器で脅し先祖代々の土地を奪い取って今の形を作った「アメリカ主義」でないこともまたそれと同列です。
アイヌや琉球の民を征服し、近隣諸国に非礼を行いながらそれを認めない「日本主義」にも大いに疑問を感じます。

ボクは今密かに、人類最大の発明と言われる「貨幣」の存在が
諸問題の根源ではないかと仮定しています。
ナショナリズム(=国家主義・民族主義)にも疑問を呈します。
イデオロギー(=思想傾向)を論じること自体がもうすでに古い考え方なのかもしれません。


さて、実は新しい年へ向けてボクは希望に満ちています。
それには何の根拠も、なんの担保もないのですが自分の持っている可能性と
人類のもっている運命と、そういう悲喜交々を含めて希望に満ちているのです。
きっと未来は明るいでしょう。
信じるものがなければ救われません。
ボクは信じようと思います、未来を。
そして、今を精一杯生きようと思います。

それがボクの生まれてきた本当の意味だと思いたいのです。

2010年がみなさまにとって すばらしい時になりますよう
心から願って、今年最後のメッセージに替えさせていただきたいと思います。
それでは、また来年お逢いしましょう。

2009.12.27記
スタジオぽっぽ  タナカ ミツオ



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 23:02 屋久島・写真・エッセイ

2009年11月30日

トイのカンサー



みなさま、こんにちは。 ぽっぽです。
11月は ぽっぽにとって一年で一番忙しい月でございまして、
今年もたくさんのお友達やお客さまに撮影に来ていただきました。
感謝、感謝です。 謝謝。

1998年の11月1日に創業しましたので、今年で丸々12年を経過し、
13年目に突入したということになりまする。

こんなに長きに渡って仕事を続けてこられたのは
支えてくださるみなさまのおかげに他なりません。
この場を借りて、謹んでお礼申し上げます。 あ〜た〜っす。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、本日のお写真。
みなさんご存知でしょうか? 「トイのカンサー」。ご存知ない? 嗚呼。
一年間、どこからか見守っていて親の言うことを聞かなかったりすると、
この”てんご”に入れられて山に連れて行かれるという伝説の神様なのだけど
ご存知ない?嗚呼。 大晦日に家々を回って子供たちに良い子にするように諭す
こわ〜〜イ神様なのだけど?ご存じない? 嗚呼。
青年団がボランティアでやってることも? 怖いわりに目はやたらとやさしいことも?
地域の伝統であることも? 嗚呼・・・・

「トイのカンサー」とは、「歳(とし)の神さま」が屋久島風に訛ったもので
屋久島では地域ごとに、このような風習がまだ残っているところがあって
八百万のカミがみんなを見守っていてくれることを、乳飲児の時分から
しっかりと伝えていくという伝統行事です。
このようにして、島の伝統は脈々と守られているわけです。
屋久島がカミの島と呼ばれる所以です。

この写真は1997年頃の作品で、これ以降は
年末年始も(成人式の撮影等)仕事してましたので屋久島には
帰れておりません。
今年もありがたいことに年末年始とも撮影が入っておりますので
写真のような光景を直接見ることはできませんが
今年もやさしい目をした怖〜いカミさまが、村々を回っていくことでしょう。

2009年も残すところあと1ヶ月となりました。
道路を車で走っていても、なんだか慌ただしい雰囲気が伝わってきます。
みなさまも、どうかお気をつけくださいませ。






〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_

  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 10:55 屋久島・写真・エッセイ

2009年09月07日

屋久島のお墓のこと


屋久島のお墓はどの集落のものも
押し並べていつもきれいに飾られている
お盆など、節句事のときには特に念入りに
飾られることもあるが、そうでなくても
日頃から丁寧にお墓の整備は欠かさない
集落の人々は先祖代々続く墓を守り
そしていつか自分たちもその一員として
取り込まれることを望んでいるかのようだ

こんな美しい風景に溶け込んだお墓なら
あるいはそれも悪くないとは思うけれど
このお墓を守る人々の日々の苦労は並大抵ではない
もちろん、毎日お墓に参ることによって
人々が自ら心の安息を得られるという面も
決して否定はしないけど
そんなことを含めてもなお
やっぱりボクは「木になりたい」と思うなぁ

でも、てきればこういう奇麗な風景を眺めながら
木になってみたいものだなぁ



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◇このたびホームページの改装に伴いブログを新規サイトに移動しました。そのため当ブログは休止いたしました。新しいサイトでこれまで通りに活動しておりますので、みなさまには大変お手数ですが下記ページよりアクセスしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

<PHOTO STUDIO POPPO公式ホームページ>





















_
  


Posted by PHOTO STUDIO POPPO at 12:17 屋久島・写真・エッセイ